アメリカ日記
                               千葉 真也
 
 この夏、学生のホームステイの付き添いとして3週間コロラド州グリーリーに滞在した。9月に起こった事件の後では空々しいものであるが仕方ない。以下は、あの惨事の前、普通に暮らしているものにはそのようなことの起こる前触れも察知できないような、そんな時期のアメリカでののんびりした地方のことである。
 実は、ほぼ毎日、夜中にだらだらと書き付けていたが、ここでは、初めの10日分ぐらいの分をまとめておくことにする。後半になると我々の受入先の人事上のトラブルがこちらにも影響を及ぼし、右往左往するようなことが起こってくる。当事者であった私には重要なことであったし、事柄をそのつど書き留めておくこともそのときには意味があったのだが、今、『とい』の原稿とすることが適当とは思われない。加えてあまりに長々しい。70枚ぐらいになってしまっていた。のんきな旅行がのんきなままで過ぎていた10日間のことを書くことにしよう。

 重い荷物のこと
 初めに到着したのはサンフランシスコである。関西空港を出発後、まず座席の配置を調整するのに一騒動あったりしたが、あとは長い時間を座席に拘束されているばかりで何事もなかった。国際線から国内便への乗り継ぎが引率者である私の最初の仕事である。一緒に引率するWillisさんは親族の結婚式があるので3日ほど前に日本を離れていてデンバーで合流することになっている。それまでは私一人である。今から15年も前に学生の研修旅行の付き添いがをつとめたのが(同様にツキソイだった)、私にとって唯一の海外体験である。途中でアンカレジに立ち寄った2時間ほどが私のアメリカである。出発直前にサンフランシスコ空港の案内図の入ったプリントを渡された。「この空港は乗り継ぎに手間取ることがありますから、よく読んでおいて下さい」と言われて渡されたそのプリントには、「この空港は左右対称のレイアウトであるがゆえに、特に2階到着の乗り継ぎ動線はわかりにくいので注意が必要だ。市内へのアクセスも交通手段によって乗り場が異なるので便利とはいえない」などと書かれている。そこにはまた「空港は、北米で唯一、全米美術館協会から正式に認定を受け、ターミナル内にはさまざまな美術品が展示されている」ともあるが「美術品」を見ている余裕などあるはずもない。そんなややこしい空港を「引率」するのかと思うと、やや暗澹とした。しかし、満員のジャンボを降りるのにエコノミークラスの我々はだいぶ待たされ、入国手続きにも時間がかかり、広い空港を駆け足で移動して、無事に乗り継ぎ便にたどり着いた。
 デンバーに降りてみると、涼しいところと聞かされていたが、人の服装は半袖半ズボンばかりである。夏のさなかの大阪から乗り込んでごく軽装だったので一瞬ほっとした。数日前にはストームで気温も低く、この2、3日は大阪並の暑さになったという。ほっとした後は暑さがこたえて、学生も私も疲労困憊である。
 荷物は情けないほどの重さであった。スーツケースは衣類が主体なので知れていたが、入試問題を作るための材料として文庫本が6冊ほど入っている。論文を書くための材料も放り込んだ。問題は機内持込にしたリュックである。こうして書き出してみるとよくも入れたものと感心するほどだ。


1 ノートパソコン (長逗留のあいだに仕事をするために持ってきた。ノートといっても机の上で使うつもりで買ったもので、3キロほどの重さである。)

 

2 ビデオカメラ (出発の3日前に学校から預けられた。これで学生が授業を受けているところなどを撮影しなくてはならない。)


3 デジタルカメラ (今のところ、一番余計な荷物であり、パソコン運搬などという悲惨な事態を招いた元凶である。学生を写すためには昔から持っている古い一眼レフを持ってきている。こまごました事物を写し、それをパソコンに取り入れてなどと考えたのだが、そしてメモ代わりに活用することで、旅行記などを書くのにも活躍してもらうはずなのだが、思惑通りに行くのかどうか。カメラには64メガバイトのスマートディスクでというのを入れている。かなり上等の画質の設定にしても130枚は写せるので普通は何の心配もない。しかし今回は3週間。ちまちましたものを手当たり次第に撮るつもりなので何枚になるか見当がつかない。その問題はパソコンに取り入れてしまえば解決する。しかし、別の問題が直ちに生じた。これは「スーパーディスク」の項で書く。ともかくこのカメラがなかったら、パソコンも要らなかったのだ。論文は原稿用紙とノートですむことだし、問題作りも同様だ。)

 

4 スーパーディスク (1枚の容量が120メガバイトのフロッピのようなディスクのドライブ。私のノートパソコンはハードディスクの容量が2ギガバイトしかない。最初は十分すぎるほどだったが、OSを変えたのが大失敗。空き容量が400メガバイトを切ってしまった。そのうえ積んであるCPUは5年ぐらいのものなので、手洗いを済ませ、お湯を汲みに行って帰ってきたりしてもまだ起動中という代物である。この春、安価なデスクトップパソコンを購入したのだが、移行すべきデータは文字が主体といっても、フロッピで40枚ほどになる。CDRが1枚あれば間に合うが、ノートは古い機械なのでCDの読み取りしかできない。つまりCDRに書き込むことができない。データの移行をスムーズに運ぶだけの用途と思っていたので、低価格で小型軽量の外付けドライブを探し、これに落ち着いた。それが今回は役に立ったが、荷物の重さを増すことにもなった。)

 

5 ポータブルCDプレーヤーとボックス売りの輸入版CD (機内とコロラドでの時間つぶしのためのもの。CDはブルックナーの交響曲とベートーベンのピアノソナタである。二種類持ってきたが、ブルックナーばかり聴いていた。金管楽器の巨大な音量がコロラドのぱらりとした空気に似合っていた。なお輸入版についているブックレットがこの一年私の読んだ英語のほぼ全部である。)

 

6 パソコンとビデオカメラのためのACアダプタ

 

7 充電器 (デジタルカメラとCDプレーヤーの電源に充電式の電池を用意した。当然充電器もある。)

リュックが壊れそうな重さである。肩に食い込み、そのうえ荷物のほとんどがいわゆる精密機器に属するものなので扱いは慎重を要する。リュックの肩紐がとれそうな気がしておそるおそる床におろしたり持ち上げたりする。肩紐の付根が怪しくなり、私の右腕は筋肉痛になった。

 デンバーの空港から大学まで、途中のハンバーガーショップで1時間以上、だらだら休憩し、軽食を取ったりしたので2時間30分ぐらいもかかっただろうか。学生にとっては休息のちょうどよい機会であったかもしれないが時間を食いすぎた。迎えに来たスタッフ(CIEという部局に属している)が食事を取っていなかったので、彼らが十分に食事をとる必要があったのである。
 この日の行事としてはホストファミリーが集合してそれぞれ担当する学生を迎えることぐらいである。歓迎の感情の現し方が開けっぴろげで多少大げさなことに早くも感心した。アメリカ人のホスピタリティには定評があるが、他人の家での3週間の生活を前にして不安になりがちな学生の表情が明るくなった。それと小さい子供の居る家の多いこと。もう一つ感心したのが遅刻に寛大であること。われわれは1時間以上遅れて着いたのだが、ホストファミリーはいやな顔もしない。もっとも、スタッフの方も平然としているので、田舎の時間がのんびりと流れていると考えるべきかもしれない。

 広い宿舎のこと
 現地では途方もなく広い家を与えられた。部屋の数とベッドの数を確認しないままで終わった.学生を1グループ泊めて引率の教員の部屋もあるという風情。ただいかにも古く、このところそのような用途に使っていたのかどうかと思われる節もある。バスルームについているはずのカーテンは存在しないし、2階にあるバスルームはお湯の温度の調節がうまくいかない。しかし台所には冷蔵庫が2つあるし、ホールのような部屋がそれぞれのフロアにあって全部で3つもある。ホールには電話があるので電話の数も3つである。数えるのも面倒になった寝室のどれを使ってもよい。実際には寝室もバスルームも1階のものしか使わなかったし、それぞれの階にある電話のどれかがなるたびに上り下りするわずらわしさもあった。(間違ってかかってくる電話は、たいてい宗教の勧誘のようであった。自分は日本からやってきたプロフェッサーであると言うと、向こうはスイマセンというようなことをもちろん英語で言ってすぐに切ってくれるのだった。)
 ベッドルームは1階に1つ。地下に2つ。1人部屋と2段ベッドの2人部屋。2階にはいくつあるのだったか。さらに設備としては給湯器、コイン使用の洗濯機、乾燥機がある。結局、学生寮に一人で住んでいたということになるのだが調理器具がほとんどなかったこと以外は快適だった。
 その日の夕飯は同僚のWillisさん、世話をしてくれる日本人学生のKと3人で取った。地元のビールを飲んだ。普通の味のものとそうでないのとがある。日本にいては味わえないという意味での普通でない味には、アメリカにいる間頻繁に出くわしたが、なかなか変だった。今もそのラベル(スマイリング・ムースという名前のヘラジカが微笑んでいるもの)と味を思い出す。砂糖や、いろいろの味付け(ブルーベリー風味というのまであった)を加えている複雑な味のビールが多いのにはやや閉口した。だが注文したものを飲み干したのはもちろんである。

7月30日(月曜日)
 学生のレッスンの終わった後から、近くの喫茶店の一角を借用してのオリエンテーションとキャンパスツアーに参加。今日もこの町はひどい暑さである。しかし空気が極端に乾燥しているので汗をかかない。
 我々の滞在したグリーリーは日本の百科事典には載っていない程度の小さな町である。隣町のボールダーはこのあたりでは格段に洗練された大学町として名高いが、日本ではマラソン選手の高地訓練の適地として知られている。我々も3週間、高地訓練を受けることになるわけだ。
 オリエンテーションでは、学生たちがしゃべってくれないかと思うばかりである。彼女たちは疲れがとれていないこともあるし、夏の日中に歩かされることを好まないので一様に不機嫌な顔をしている。我々の面倒を見てくれる部局をCIE(Center of International Education)というが、そこのスタッフが説明することを理解しているかどうか要領を得ない顔つきだし、質問がないかと聞かれても黙ったままである。全部わかったわけではなく、ろくにわからないので何を聞いたら良いのか分からないし、質問するための英語を考えることも簡単ではないのだ。だから、ホストファミリーに電話をしたいがこれこれの用件は何と言ったら良いかなどと向こうのスタッフではなく、こちらに聞いてくる。日本文学の教員としては困るのだ。もっともこちらの専攻など緊急の場合にはどうでもいいことである。こんなのんびりした局面で英語を考えることぐらいはしておいた方が良いに決まっている。加えて、日本語のわからないCIEのスタッフに聞いてみるのも面倒である。そのような次第で私は間に合わせの英作文を試みることになる。3週間で英語能力は確実に向上するだろう。
 不機嫌な顔つきで可愛げのない学生たちだが、日程が終わってホストファミリーが迎えに来るのを待っている様子はいじらしくもある。彼らの幼さを思うべきかも知れない。子供が親を待ちかねているようだ。だが、まだまだ先は長い。3週間仲良くやってくれるように願うばかりである。

7月31日(火曜日)もとヒッピーの製茶会社
 午前中はユニバーシティ・センター(銀行、食堂、自動販売機、ブックショップ、理髪店兼美容院、コピーセンタ、コンピュータルームなどが入っている)の中を散歩した。ブックショップはテキストを中心として置いている。一般書はあるともないとも言える程度で面白くもない。ほかに学生に使うべきものを置いているのは日本の生協などと同様である。文房具類は全部間に合う。食品も置いている。車を運転できない私にとってここでいろいろ間に合うと助かる。
 この日の午後は、1時に大学を出発し、途中でCelestial Seasoning製茶会社に寄った後、近接する(車を飛ばして1時間30分ぐらい)ボールダーで散策・買い物という予定であった。しかしスケジュールに無理があって町に着いたらほとんど時間がなく(5時には帰らないといけないのだ)、学生は大いに不満であった。ボールダーはコロラド大学のある好ましい町である。
 途中の製茶工場は1960年代にヒッピーたちがこしらえたのがもとになっているという会社である。インスタントコーヒーの類を排して自然の産物のハーブ、茶の類を作り始めたということだった。後から調べてみると、日本でもそれなりに知られていてファンもいるようだが、お茶の味を云々する以前に工場の趣味に辟易した。もっともそこで無料でサービスしてくれた砂糖入のグリーンティーも結構なものではない。さて工場である。まず壁面に奇怪なイラストが飾られた部屋でビデオを見る。英語の聞き取れない我々の大半にとっては猫に小判である。そもそも今回の「語学研修」そのものが「猫に小判」みたいな企画である。参加した学生の語学力は極端に低い。聞き取りの能力は私と似たり寄ったりであるし、語彙は極端に貧弱である。英語の語彙が貧しいだけではない。日本語の語彙も貧しいことはふだんの授業で教員である我々は思い知らされている。歴史や地理の素養も同様に乏しい。「見学」の類は例外なく不評であったが、そうなるはずである。事柄を知らず、説明も理解できずに博物館に行って面白いはずはない。彼女たちにとって面白かったのは買い物と乗馬と急流下りである。いきいきとしていたのはホストファミリーの子供たちとのやり取りである。どちらもややこしい英語を使う必要がない。
 ビデオを上映した部屋や工場までの廊下に飾られた、パッケージデザインの巨大な原画は奇抜なものであった。ひと昔前のアメリカ映画の東洋、あるいは何を見ても「OH!ZEN」と口走る手合いが夢想する東洋、それにけばけばしく彩色したというところか。何年か前、「サイケ」という言葉があった。あんなふうである。山がそびえ、滝が落ちている。川が流れていてその岸に牡丹の群落がありパンダが潜んでいる。反対側の岸に楼閣があって髯をはやした仙人のようなものが瞑想にふけっている。このような図柄である。ばかばかしくて何も買わずに来たが、見本に1つ買っておけばよかった。といってもその手のものをいちいち買っていては身が持たない。さて我々は工場に入る前に綿帽子のようなものを渡された。埃などを落とさないためである。工場に入ると顎鬚を蓄えた従業員が耳を聾するロックの流れているなかで機械を動かしていた。
 そんなものの1つ、買わなかった土産が大学近くの古本屋で二束三文の棚においてあった武道の入門書である。それは柔道でも空手でも合気道でもなく、日本でも中国でも朝鮮でもない東洋のものらしかった。もちろんインドというわけでもない。それは武道の入門書であると同時に、深遠な宇宙の哲理を解き明かす本でもあり、大いなる自然をたたえ、道の奥義に達した師をたたえるための詩文集でもあった。
 なお、この日、私はユニバーシティセンターでUNCという文字の入った帽子を購入した。翌日はロッキーに登るので学生には帽子着用必須と言い渡してあるし、乾燥した空気の中を照りつける日差しは強烈である。しかし、これをかぶってめがねをかけた顔を見ると、日焼けの具合も手伝ってベトナム戦争当時の韓国軍兵士のようである。似合わない事甚だしいが仕方がない。この日の食事は朝晩とも自分でサンドイッチを作って、独りでモソモソと食べた。

8月1日(水曜日)写真師の心得
 9時から5時までロッキー山脈国立公園で遊ぶ。相愛で非常勤講師をしているレニーさんも一緒である。昼食が必要なのか覚えていなくて、用心のためにバナナ2本とチーズを少々持っていった。(こう書いて思い出したが、1日目、到着と同時にフルーツバスケットをもらった。そのときは中身を記録する気力がなかった。バナナを3本、西洋梨を1個、りんごを1個ぐらい食べてしまったが、今残っている中身を書いておこう。オレンジ5個、リンゴ5個、バナナ1本、キウイ2個、グレープフルーツ1個、ブドウ1房。家にいれば一人ではもてあます量であるが、野菜を買うのも面倒な今の境遇では重宝している。)
 グリーリーから3時間も車に乗ると国立公園である。小さな店があって学生たちはやっと買い物ができた。彼女たちはこれまでに友人知人たちからもらった小さな土産のお返しをしなくてはならない。安くて、日本で手に入れることが難しくて、なおかつ気のきいたものを探すのは大変だ。自分も子供のため土産を少々買う。2時ごろ遅い昼食をYMCAでとる。あたりには野生の鹿などもいるのだが学生たちは自分たちの写真をとるのに余念がない。彼女たちの記念撮影に付き合うのはこちらの役目のようなものだが、閉口したことがあった(いったい一日に何べん、私は閉口するのだろう)。
 グループの写真をとるということが即ち、それぞれの持っているカメラで1回ずつ撮影することを意味するのである。5人のグループが私に声をかける。次に5台のカメラが私に渡される。私は何があっても5回シャッターを押さなくてはならない。落とさないように初めから全部地面において順番にシャッターを切ってゆく。もちろんその都度「ハイ写します」とか「ハイ、チーズ」とか言わなくてはならない。撮ってもらった筈の写真が手に入らないということはないから賢明なやり方ではあるのだが、互いの関わりの希薄さを感じさせる光景であった。集合写真をとれといわれて日本を出てきたが、5回もシャッターを押していると、こちらも写される学生の側も、さっさと終わらせようという気になるので、自分のカメラでは撮らずじまいになることが多かった。結局持ってきたもののうち、無駄の最たるものは旧式の重く大きな一眼レフであった。
 夕食はWillisさんの他、ロッキーにも同行したレニーさん(相愛大学の非常勤講師で、住所は大阪市住之江区南港、相愛のご近所である)とメキシコ料理を食べた。レニーさんというのは顎鬚を蓄えたヒッピーの生き残りみたいな人である。世界各地で英語を教え、タクシーの運転手をしながら放浪して、今は日本に落ち着いている。家族がいるかどうかはわからない。

8月2日(木曜日)30年ぶりの英作文
 この日、昼間は暇である。たいていは午後から大学を出てどこか見学に行くことになっていてそのときは同行しなくてはならないのだが、今日、学生たちはこちらの学生たちと交歓するらしい。彼らはどうやってコミュニケーションをとるのか謎であるが、そんなことは今の私にはどうでもよい。学生は安全な場所にいて誰かが面倒を見てくれている。そのおかげで昼間は暇だ。これで十分である。ただし午後5時から8時までホストファミリーとのPotluck Picnicが予定されている。改めて辞書を引いたらPicnicは「食事」という意味である。持ち寄りの食事会である。何か挨拶をしないといけないかも知れないと思って、昨夜は英作文に専念した。作ってみたら使わないのが惜しくなってきて、とりあえず朝コンピュータルームに行ってそこで仕事をしているKに相談して、会の初めに短いスピーチをする時間を入れてもらうことにする。
 久しぶりの英作文である。学生のころ翻訳で読んだ誰か哲学者の全集に、学士院の会員のようなものに選出されたときの謝辞があった。気取ってありったけお世辞を入れて、持って回った言い方をしていると思ったものだったが、そのときの気分をお手本に、あとはいちいち和英辞典を引いて、こんな作文が出来た。

I want to tell our gratitude to you.
 But my major is Japanese classic literature, so I can't tell enough what I want to tell.

Since 150
 years ago, many Japanese have been to America. They were impressed with the hospitality of American. And they were impressed with the characters of American people. Old Japanese said American people are frank, honest, openhearted, and friendly.

Now I realize that it is true.
 And I believe so do our Soai students. They must feel your hospitality more than I.

But I am afraid that our students are often selfish and lazy.
 So I must beg your pardon in place of their parents. But I think they are very young and they are able to improve. Not only on English but also on their personality and character.

Please look after and help our students. Thank you so much again for everything you have done.

 
 日本文学の教員といってもあまりに見苦しいのは国威に関わる。Willisさんに見てもらい変なところを直してもらった。とくに結びは「Thank you」しか思いつかず、それだけでは不恰好だと思っていたのでありがたかった。幼稚な英語でも許してもらえるのが日本文学という専攻の有り難さであるが、Basic Englishの出来損ないのようなものしか作れないのは情けないことだ。
 もっと情けないのは聞くことがうまくできないことで、相手に対して何か自分の考えを言うことはできないではないのだが(自分の考えを言うというよりはその時々に言えそうなことを自分の考えのようにしてしゃべっているのである。私が独力で思考しているのではなく言語が私と共に思考していると言うべきである。何しろpicnicという単語を引いて改めてそれが「食事」という意味であることを認識するという程度の英語力だから引率教員としては話にならない。さてこの作文は今のところの本音を多少飾った程度のものであるが、これから先どうなっているだろう。

8月3日(金曜日)大きな灰皿・ガラガラヘビ皮のドレス
 午前中は学生の語学のレッスンを撮影。午後はCentennial Village Tourというのに随行し、やはり撮影。直前に渡されたビデオカメラの説明書を大急ぎで読んで、何とか写せるという程度に理解したのだが、写している間にバッテリが心細い状態になる。急いで宿舎に帰ってバッテリを入れ替え、これまで装着していたほうを充電。以後、滞在中の日課に充電が加わった。夕食はCIEスタッフとのピザパーティーである。きのうは野外での食事。ハンバーグとソーセージばかりの夕食だったが今夜はピザである。そのうえ撮影もしなくてはいけない。日課のようにシンドイナと思うけれど、あらゆる通訳にWillisさんを頼っているので、こちらは勤勉にカメラマンの仕事をこなさなくてはいけない。
 授業の撮影は30分ぐらいで切り上げて後はユニバーシティ・センターで飲み物を買い、自動販売機のコーヒーを飲み、入り口の近くに置いてある灰皿を使い、宿舎に戻った。喫煙者である私は自然と灰皿を探す。すると大きな建物の外には、必ずと言っていいほど立派な灰皿があることが分かってくる。抜け道があったのだ。いくら喫煙にやかましいといっても、後で書くがコンビニで山ほどタバコを売っているのである。買うものがいるから売っているのだし、買ったら吸うに決まっている。屋内での禁煙が守られているとあれば外で吸うことになるのは当然だ。大きくて目立つ立派な灰皿があちこちに置かれることになる。草むらや駐車場の隅なども暗黙の喫煙所である。どうせ勤め先でもこのごろ喫煙の規制が厳しくなって、個人研究室以外は禁煙になっているので、あまり苦痛ではない。大きな建物の入り口に目を凝らすのがコロラドでの習慣であった。
 午後に見学した「歴史村」については書くべきこともない。展示してあるものも面白いとも面白くないとも言いかねる。ガラガラヘビの皮で作ったドレスだけが印象的だった。ある女の人が退治したヘビの皮でこしらえたというグロテスクなものだが、説明を見るとスタイルは当時流行していた「フラッパー」(flapper)風であるという。日本でモボとがモガが闊歩していたころ、コロラドでその人はガラガラヘビを撃ち殺していたということになる。
 ピザパーティー(宅配のピザを一緒に食べただけだが)の後は、「アメリカンスィートハート」という喜劇映画を学生と一緒に見て、学生を帰してからスーパーと酒屋に行き、12時ごろ宿舎に帰りついた。今は午前2時。もってきたCDのうちブルックナーの8番を聞きながら書いている。
 いくつもの長い曲を最初から最後まで聞く機会は、日本に帰ったら当分ありそうにない。初めてのときには、ラッパが耳をつんざき、太鼓がドカンドカンと鳴って品の無い曲だと思ったが、アメリカに来てからブルックナーばかり聞いている。それも金管の大音量が非常に心地よい。どういうことだろう。こんなことならベートーベンなどではなく、同様に聴くに堪えないと感じていたマーラーも持ってくればよかった。
 スーパーで買ったのはハム、ナッツ、ミルク、オレンジジュース、チーズ(大豆を原料として作った妙なチーズである。Willisさんは止めたほうが良いと言ったがまずくとも食えないことはあるまいと思って買ってみた)、それにインスタントコーヒー、コーヒーに注ぐための湯を沸かすヤカンである。

8月4日(土曜日)はじめての休日
 目を覚ますと9時を過ぎていた。大豆で作ったチーズをパンにはさんで食べてみた。食えないことはないという程度の味(それでもほめすぎのような)であった。月曜日にWillisさんに会ったら、お説のとおり買わないほうが良かったと報告しなくてはならない。コーヒーを入れてみたがあまり味がしない。ラベルを見ると「チコリを調合して非常にマイルドな風味にした」などと書いてある。チコリはその根を乾燥させてコーヒーの代用品としたものなのだそうだが、それを調合したことがなぜ売り物になるのか分からない。ともかく朝飯を済ませ、仕事をしようと思ったが、全然、気分が乗らない。ブルックナーの、今度は6番を聞いてからセンターに行ってみた。
 途中、こちらで知り合いになったアメリカ人の学生に逢った。むこうはダウンタウンに仕事をしに行くところだと言う。私は「ショッピング、ショッピング」という声を聞かなくてすむので今日はベリーハッピーだというぐらいのことを言った。広い芝生の中のゆるい上り坂を歩いているとノウサギを見つけた。その前にはリスを見つけたこともある。こんなときに限ってカメラを持ってきていない。
 センターは、開いてはいたけれど建物に入れて販売機が使えるというだけ。キャンパスのはずれに喫茶店などが並んでいるところがあったので、そちらのほうに行ってみることにする。古本屋、安い食堂、楽器屋、コンビニエンスストアなどがあった。これは日本でもなじみの「セブンイレブン」である。昨日買ったのより、少しはカフェインをたくさん含んでいそうなインスタントコーヒーを買い、電話用のカードを売っているのを確認し、湯沸し用の簡単な容器をもっと安く売っているのを見つけた。レジの後ろにタバコを置いていたのでマールボロを3個買った。アメリカはタバコに対して非常にやかましくなっていて、年齢を示す証明書を提示しないと変えないということだったが、何の面倒も無く買えてしまった。
 そのあと、初日にオリエンテーションの会場となった喫茶店(本、文房具、ちまちました雑貨なども置いてある)でアイスコーヒーを頼み、店の庭のテーブルでゆっくりとタバコをのみ、また子供への土産を買う。キーホルダーと小さなぬいぐるみなど。
 午後は入試問題でも作ることにして日本から持ってきた文庫本のうちから使えそうな個所を入力したが、それだけで飽きてしまった。本当に飽きやすい性質である。午前中に見つけたコンビニでビールを売っていたのを思い出して、散歩がてら買出しに行く。350mlに当たる缶を半ダース、韓国製のカップ麺などを買って合計8ドル50セント程であった。ビールは非常に割安である。晩飯だか昼飯だか分からない食事をする。ものはビールとカップ麺とチーズとリンゴである。それから酒のつまみとデザートを兼ねてトルティーヤのチップ。最もずぼらな学生の晩餐である。来る前は作って食べることも考えたが、フライパン1つではあまりやる気にならない。乱雑に散らかして文庫本やCDプレーヤーなどを乗っけてあるテーブルの上に、こんな食事を仕立てて独りで食べていると、既視感に見まわれる。

8月5日(日曜日)英語を使わない一日スーパーのレシートを眺めること
 休日続き。朝、中途半端な状態のままにしていた論文を書く。先月末の締め切りのところを、途中に辞書の校正やら何やらが入って締め切りを延ばしてもらったもの。日本を発つ直前に本居宣長記念館の鈴木さんに電話をすると、大半の原稿は8月末にならないと出来てこないので構わないということだった。しかし、こちらに来ているうちに、仕上げてしまわなくてはならない。1時間ばかりでやたらに眠くなり、軽い文庫本を読んだり、デジタルカメラの写真を整理したりしていると午後になった。
 一日中まったく英語を使わない、あるいは使わなくても良いときには使わなくて良いという状態は何とも気楽でのんびりしている。風呂に入って隅々までくつろいだようだ、といえば言いすぎだろうか。そのかわりそれは誰ともその日は話をしないということになるわけだが、かつて独り者の休日にはそんな日もあったものだった。こうのんびりしていると、あの「買い物、買い物」とうるさい学生たちが、ようやく気の毒に思われてくる。土曜と日曜の2日間は「Free day with host family」と日程表に書いてある。彼らは2日間完全に英語で暮らすということだ。日本からの長旅の疲労は3日目ぐらいで解消しているようだが、あまり機嫌の良くない顔を日本人同士では見せることが多くなっているような気がする。ホストファミリーが迎えに来ると笑顔に変わるのだが、よく理解できない言葉を聞きながら笑顔で暮らさなくてはならないのは苦痛であると思う。もちろん、彼女たちは望んでやってきたのだから私が想像するようには苦痛を感じないかもしれないが。
 しかし1日、黙って暮らすことができたので買い物買い物と彼女たちがうるさく言うのも了解できるように思えてきた。買い物は必ずしも言葉を必要としない。無言の物たちとの対話である。美術館や博物館のように説明文を読まないと分からないというわけでもない。菓子でもアクセサリでも菓子やアクセサリの顔をしている。最後の勘定のときだけ決まりきった言葉を交わせば良いし、それも必要でないかもしれない。

 買い物のことに触れたついでに、こちらの日用品の値段などを書きとめておこう。毎度レシートを取っておいたわけではないが8月3日の分は、次の通りである。

EKCO KNSNG TEAKTL
EKCO社のTEA KETTLE8.57

NSCF MTNBLD INSTR (ネスレのマウンテンブレンド インスタントコーヒー。ただし次のようなことがラベルに書いてある。The makers of Nescafe carefully blend quality coffee and chicory to give you the extra smooth taste of Mountain Blend4.89 チコリというのはコーヒーの代用品にした植物なのだそうだが、わざわざそれを入れてラベルに書くのだ。所変われば品変わることをそのようなところで実感する。

RSTD SLTD MXD NUTUS (これはミックスナッツ。この日の高い買い物。RSTDRoasted & Saltedの略。454g)5.99

100 WHOLE WHEAT BR
(これはパン20OZ。566.9g)1.19

TOST BITE SZ ROUND
(次の物とともにTostitos社のTortilla用のチップである。)3.29

TOSTITOS SCOOPS RE 3.29

FRESH CUT MESQ TUR KS
(これは7面鳥のハム。SMOKED TURKEY BREAST WITH BROTH3. 79

FRESH CUT OLIVE LO KS (これはオリーブローフ。OLIVE LOAF Browned In Hot Oil。塩辛いばかり。失敗の3番目。)3.79

LISA OG CHDR SOY
(これはこの日1番失敗した買い物。有機栽培した大豆を原料としたチェダーチーズである。OGは有機栽培)3.69

RASPBERRIES
(これはラズベリー、野菜代りに)2.99

OS RUBY RED GRPFRT
(グレープフルーツジュースだがよく見ると30パーセントジュースである。やたらに甘い。2番目に失敗した買い物。)3.19

SALPICA JAL SLSA
(これは、サルサ。トルティーヤチップに付けて食べる。非常に辛い。辛いがまずいわけではない。)3.69

M G VIVA 1% MILK
(牛乳。3リットルもあったか。多くて安い。ただし、まずい)2.09

 退屈してきたので10分ほど歩いて町へ行ってみる。ちょうど百万遍あたりのような町。古本と新本を雑多に置いた店、簡単なレストラン、楽器のレンタル、自転車屋、刺繍用品の店、メキシコ料理店、ピザとかハンバーガーの店。最初のときに来た角のコーヒー屋兼本屋で古本を眺め、COLORADO COFFEE GROUNDSという本(税込みで53セント)を買い、アイスコーヒー(こう言っている)とパンプキンバー(シナモンの香りをつけたスポンジに生クリームを3ミリほどの厚さに塗った物)を注文して、昨日と同じようにゆっくりとタバコをのむ。本を見ていると、同じ時期に学生を連れてきている東京女子体育大学の先生に逢った。入試問題の材料を探しに来たと言っていた。

8月6日(月曜日)ヤキソバの保存方法をめぐって
 当地の時刻は8月8日の午前0時58分。日本時間では同じ日の15時58分ということになるはずである。持ってきたパソコンは日本時間のままなの間違いない。なぜこんな時間に起きてパソコンに向かっているのであろうか。いつもこのぐらいまで起きていて他にすることもないのでパソコンに向かってこの日記を書いたり、ゲームをしたりしているのだが、ことにも今は「なぜこんな時間に起きてパソコンに向かっているのであろうか」と書きたくなる気分である。変な具合に高揚しているのである。
 8月6日の月曜日、我々は朝から夕方までコロラド州の首都デンバーで過ごした。首都に敬意を表するのと、もう一つ、サクラスクエアという一角があり、そこに日本の食品食材を扱ったスーパーがあるのを覚えておいてもらうためである。8月16日の木曜日にサヨナラパーティーが開かれることになっていて、その準備に本来は13日の月曜日の午後が当てられることになっている。「Preparation for Sayonara and Shopping」というのが予定である。その前に少し買っておくと便利であること、場所を覚えておくと買いに来ることが可能であることなどの理由で今日はその店を訪れた。しかし、学生の買うこと買うこと、さよならパーティーで整えるご馳走に必要と思われるものは全部買ってしまう勢いである。
 たぶん彼らは月曜日の午後を「Preparation」ではなく「Shopping」に使おうというつもりであろう。さて、あるグループは炊き込み御飯・エノキダケと豆腐の味噌汁を作ることにしている。炊き込み御飯など「○○のもと」の類を買ってきて……と思っていたら、ショウユ・ミリン・ゴボウ・ニンジン・タケノコなどを買いこんでいる。妥協しないで本格的に作るといっている。意気込みは壮として、問題は味噌汁である。豆腐はともかくエノキダケまで買ってしまった。キノコは10日も持つのだろうか。キノコなどは普通のスーパーマーケットでも売っているのだから、直前に買えばいいのに。かりにエノキダケの入手が難しいとしても別のキノコでも良いだろうし(シメジみたいなキノコは有った)、だいたい豆腐とキノコでなくてもよさそうなものだ。豆腐と若布では具合が悪いのだろうか。味噌汁もあまり人気がないと聞いている。ともかく我々は10日間冷蔵して甚だ鮮度の落ちたキノコを供することになるだろう。
 別のグループはヤキソバである。普通のスーパーで入手の可能なキャベツとかニンジンを買わないのはえらかった。しかし「マルチャン フレッシュヤキソバ」というのを山ほど買いこんだ。
 翌日冷蔵庫につっこんだものを点検していると、あらためて大量のヤキソバの存在を実感し、同時に16日までもつかどうか心配になってきた。袋を凝視するが「KEEP REFRAGERATED」とあるばかり。いつまでいけるか分からない。冷蔵庫に入れておけば永遠に持つという訳でもなかろう。
 思案に暮れているうち、日本ではちょうど良い時間帯になる。日本時間で午後2時。暇そうなころあい。電話する。Phone Cardというのを買って割と頻繁に電話するものだからこのごろ家人も「あら、また電話してきたの。よほど暇なのね」などと言う。実際、暇である。学生と一緒に馬に乗ったりインディアンのプレゼンテーションを見たりしているときには電話は出来ないが、どうせ日本では丑三つ時。1仕事終わって宿舎に帰り論文に手をつけてもすぐ眠くなるころ、日本では昼過ぎ。

「ねえ、ヤキソバの生麺というの、冷蔵庫に入れておいて何日ぐらい持つと思う。僕が買ったんじゃなくて、昨日、学生が買ったの。食べるのは16日だけど」

「10日ぐらいだとちょっと具合悪いと思うよ。冷凍しちゃえば?」
「でもパッケージには冷蔵庫に入れておけと書いてある。冷凍じゃなくて。」
「消費期限とか書いてないの?良く見てみた?」
「なんにも書いてない。それで……

パッケージに東洋水産の住所は書いてあった。東京都港区コーナン……。国際電話で番号案内を呼んでみたら海外からはだめとか何とか言う。再び家に電話して東洋水産の番号を調べてもらい「お客様相談係」に電話する。

「今、アメリカからかけているのですが」というと一瞬絶句する気配。商品名を言っても今一つぴんと来ない様子だが、ややあって向こうも了解。こちらの用件デンバーの日本食材を扱っているマーケットでこの商品を購入したがいつまで持つか、冷蔵庫に入れておけばずっと大丈夫なのか、冷凍したほうが良いのかを伝えると

「輸出ルートを担当部局に問い合わせたりして調査する、折り返し掛けるから待ってほしい」という。
待つこと30分あるいは40分。我慢できなくなってもう1度掛けると別の担当者が出てくる。
「ずっと待っているが、こちらは真夜中なのです。いつまで待てば良いでしょう。コロラド州デンバーの近くのグリーリーという田舎町から掛けています。」

再び息を呑む気配。担当者からわびがあって保留の音楽に変わる直前、

「次長、またコロラドからかかってきてるんですが」

アサミさんという少し年配の人が出てきて丁寧に教えてくれた。
「その商品は冷凍の状態で輸出致しまして、そのまま販売店に運ばれます。販売店は、それを解凍して店頭に出します。解凍した時点で日付をスタンプ等いたします。解凍後は家庭の冷蔵庫で2週間保存可能なように商品設計がなされております」
良く分かる。しかし日付の何もないやつを10日先に供するのである。
「冷凍することは、本来はお勧めできませんが、しかたございませんね。腐ることだけは絶対にないでしょうから。それから解凍される際には、冷蔵庫で2日ぐらい掛けてお願い致します」(アサミさん、どうもありがとう。悪いのは10日先に食べるヤキソバとかエノキダケを買いこんだ私たちです)

そして20人分ほどのヤキソバを全部冷凍庫に放り込んだ。
 
10月10日(水曜日)0時10分2ヶ月がたって
 旅の後半になって、我々の面倒を見ていてくれた日本人留学生のKは、ビザに問題があるということで解雇された。
 9月24日、一緒にご飯を食べたりロッキーに登ったりしたレニーさんが日本で急死した。

 

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