眠りの効用
‐アウグスティヌス『告白』第九巻第一二章‐
松崎一平
全部で一三巻からなる『告白』の第九巻は、前半の、第一巻第六章に始まる、いわゆる自伝的部分の最後の巻で、回心(三八六年の、おそらく八月初旬のこと)後の一年ほどのあいだのできごとを物語る。
回心の翌年の三八七年四月、アウグスティヌスは、ミラノで司教アンブロシウスのもとで、息子のアデオダトゥス、親友のアリピウスとともに洗礼を受けたのち、帰郷の途につく。行をともにしたのは、アデオダトゥスとアリピウスに加えて、少なくとも母モニカ、兄弟のナウィギウス、同郷の若者エヴォディウスである。アフリカへの船便を得るために一行がローマの港町オスティアに滞在していたときに、母モニカは急に発熱し、病んで九日目に亡くなった。そのとき、自分は三三歳で、母は五六歳だった、とアウグスティヌスはいっている(第一一章二七節)。
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第九巻第一二章に、モニカの葬儀の仔細と、アウグスティヌスのかなしみが語られている。アウグスティヌスは、思いがけないかたちでおとずれた母の死に、心中深く、激しいかなしみを感じた。溢れ出そうになるなみだをけんめいの努力でかろうじて堪え、表面的には落ち着いたふうを装いながら、旅先のカトリック教会の信者たちの世話で行われた葬儀と埋葬のときを過ごす。
アウグスティヌスは、みずからの耐えがたい激しいかなしみの理由を、母とともに生活するというよろこばしい習慣からとつぜん引き離されたことに求める(三○節)。いっぽうで、アウグスティヌスが受洗してカトリック教会の信者となったことでこの世の望みがみなかない、なんの心残りもなくなったと、死の直前のモニカの口からそのこころのうちを聞き、そのことばの偽りのないことを確信してもいたので、かなしむべき理由はないと考えていたこともあって、いわば他人の目を意識し、心中の動揺を隠していたという。アウグスティヌスは、祖母が息をひきとったときに泣きだしたアデオダトスが、周囲のおとなたちに泣かぬよう制せられたことと対比し、自分も息子と同じように泣きだしたい気持であったが、「こころのなかのおとなの声」によって制せられたと説明する(二九節)。母の死がもたらしたかなしみと、そのかなしみが、死が必然であることを納得していたにもかかわらず予想いじょうに激しかったことが、さらなるかなしみをもたらし、二重の悲嘆がアウグスティヌスを苦しめたともいう(三一節)。
当時も、いまとかわらず、肉親の死に取り乱すことは、とくに篤信のモニカが人生を十分に生ききったうえで亡くなったと信じられていたのであるからには、おとなとしてはばかられることであったということであろうし、旅先での葬儀が、旅人にそのような気遣いを、郷里で行われる場合よりいっそう強く要求したということもあったのかもしれない。また、かれが教養として身につけていたであろう、たとえばストア派や新プラトン派の哲学が、感情の動揺の克服をもって知者のあるべきありかたとしていたことも、アウグスティヌスが平静を装おうとした理由のひとつとして指摘できるだろう。
しかしながら、平静を装いつつ、葬式、埋葬と、弔いのときを過ごすうちにも、心中深く、かなしみはますます激しくなり、アウグスティヌスはどうにもかなしみをもてあまし、かなしみをいやしてくれるように、なしうるかぎり神に祈り求めたという。しかし、いっこうに効果はなかった。そこでアウグスティヌスは、入浴を試してみた。古代ローマの都市ならばかならず設けられていたであろう公衆浴場にでかけたにちがいない。その理由をかれは、「それは、『うれいをこころから取り除く』ということから、ギリシア人たちは『バラネイオン』といったために、『バルネア(浴場)』の名が付けられたとわたしは聞いていたからだ」と説明する。「バルネア」ということばにかんする(こじつけというべき)語源説明にすがって、アウグスティヌスはかなしみから逃れるために入浴を試したのだ。しかし、「かなしみの苦味は、わたしのこころから汗とともに出ていくことはなかった」という。かなしみを消すうえで、入浴はまったく効果的ではなかったというのである(映画のシーンのようだ)。ここには、みずからのかなしみの思いもせぬ深さにうろたえた、教養ある人間がしめす、一種のペーソスが見いだされると思う。
つづけていう。
ついで、わたしは眠りに就き、目覚めた。そして、すくなからずわたしのかなしみが和らげられているのを見いだし、かくて、自分の寝床にひとりあって、あなたのアンブロシウスの、真実を語る詩を想い出した。
母の死がもたらした深く激しいかなしみからアウグスティヌスを救い出すうえで効果があったのは、眠りだったというのである。引用されているアンブロシウスの詩(Hymm. 1, 2, 1-8.)とは、いかのようなものである。山田晶先生の訳をお借りする。
かみよ、すべてのつくりぬし
あまつみそらをしろしめす
ひるはあかるきひかりもて
よるはめぐみのねむりもて
よそおいたまえばもろびとは
ゆるみしからだをよこたえて
あすのちからをやしなえり
つかれしこころかろやかに
なやみはとけてあともなし
以上が三二節の内容である。
つづく三三節で、アウグスティヌスは、(時間の関係はかならずしも明確ではないが、おそらく明け方、寝床にあって)、生前のモニカを親密に想い出し、ひとり神の前で、なみだの堰を外した。神の耳がアウグスティヌスの嘆きを聞きとどけてくれたために、なみだを流すなかでこころはやすらぎを得たという。
さらにつづけてアウグスティヌスは、自分が母の死になみだしたことを、人間としてとうぜんのことだという。とうぜんのことだが、しかし、よいことというわけではない。人間の弱さを考えれば、やむをえないことだというのである。じっさい、死後の人間のたましいの不滅と終末における身体の復活を信じるキリスト教の立場からすれば、生者にとって死は死者との束の間の離別であって、死がもたらしたかなしみは、天国における彼我の永遠の生への期待によって克服されるべきものである。だとするならば、母の死のもたらしたアウグスティヌスのかなしみの激しさ・深さは、非難されてもしかたがない。だが、アウグスティヌスは『告白』の読者に懇願する、「もしも、わたしがわずかな時間、母…について泣いたことに罪を見いだすのなら、嘲笑しないでほしい。むしろ、大きな愛をもつなら、わたしの罪のためにそのひとも泣いてほしい、あなたにむかって、すなわち、あなたのキリストのすべての兄弟たちの父にむかって」と。(三三節)
母の死から一○年あまりののち、『告白』を書いているアウグスティヌスは、母の葬儀のとき、みずから自分自身を制した「こころのなかのおとなの声」にたいして、ある意味で懐疑的であると思う。神のまえで、かなしみをかなしみとして、なげきをなげきとして、すなおに解放しえたことをさいわいなこととしている。アウグスティヌスにとって、それは、神を信じる人間であってもけっして免れることのできない内面の真実(弱さ)のあらわれにほかならなかった。
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ところで、夜の眠りというと、『告白』第二巻(四章)には、ぎゃくに、真夜中、戸外にあって、若者たちが仲間を組んで(眠らずに)、空腹でもないのに、隣家の梨の実を盗んで、豚にくれてやった、いわゆる梨盗みのエピソードが語られている。『告白』で回想されている罪のなかで、アウグスティヌスが最悪と考える罪は、同年輩の少年と仲間を組んで、真夜中に犯したものだった。あるいは第五巻(八章)では、なみだを流してひきとめるモニカを欺いて、アウグスティヌスはローマをめざして、(ひきとめるのに成功したと信じきって、たぶん久しぶりに安眠していた母を置き去りして)夜ひそかにカルタゴを出帆した。いっぽうここでは、眠りがかなしみをやわらげたという。夜の眠りはかなしみを和らげ、明け方、目を覚ますとかなしみは和らぎ、ひとりおだやかにモニカを想い出すことが可能になり、かえってなんの気取りもない、すなおなこころでかなしみを受け入れることができたということだろうか。かなしみを和らげてくれるのは時の流れであり、時の流れのなかに休息というリズムを刻むという大きな役割を占める眠りであるということだろうか。
それでは、時の流れのなかでかなしみは消滅するのであろうか。死の直後の死者の不在は、それが突然のできごとであればあるだけ、それだけ厳しく習慣に反し、激しいかなしみをもたらすのであるからには、時の経過は死者の不在を新たな習慣にしていくため、かなしみはじょじょに弱くなっていき、ついには消滅するとアウグスティヌスは考えているようである。しかしながら、かなしみは記憶としてこころのなかに保たれもする。アウグスティヌスは『告白』第一○巻第一四章で、よろこびやかなしみといった感情の記憶について考察する。かなしみの記憶があっても、じっさいにかなしいわけではない、あるいはかなしみの記憶をよろこびながら想い起こすということもあるといい、かなしみを想い起こしても(じっさいにかなしみを経験したときのように)こころがかきみだされることはないと指摘している。それでは、どれほどの時間が経過すれば、こころをかきみだされることなく、かなしみを想い起こすことができるようになるのだろうか。時間の長短はかなしみの深さ・激しさにおうじて変化すると思われるが、アウグスティヌスが『告白』の自伝的部分の記述を、『告白』の執筆に着手する一○年前のモニカの死で終えていることからすると、モニカの死については、それを冷静に回想することができるようになるのに一○年あまりの歳月を必要としたということかもしれない。
じっさい、『告白』第九巻の最終一三章でアウグスティヌスは、『告白』を書いているいまは(死によって死者と引き裂かれたからではなく)、モニカのたましいの危険を考えてなみだを流しているという。信心深いモニカであっても、アダムの裔であるいじょう、なんらか罪を犯したにちがいなく、その負い目を許してくれるように、(なみだを流しつつ)神に祈り求めているという。かなしみに冷静に向きあえるようになったとき、死せるモニカは息子のアウグスティヌスにとって、よろこばしい想い出のなかにあるばかりでなく、そのひとが犯した罪が許されるように、そのひとのために神に祈られるべき、アダムの裔としてけっして罪を免れることのできなかったひとりの弱い人間となったのであろう。それならば、一○年の歳月は、モニカの不在に慣れることでかなしみを克服するのに要した時間であるとともに、アウグスティヌスの人間としての成長をもたらした時間でもあるだろう。司教アウグスティヌスの人間理解の深まりが、モニカのために新たななみだを流しつつ祈る、祈りの時をもたらしたというべきであろう。