「学校は生徒が主役」

‐新米校長の初式辞に思う‐

 

和田孫博

 

 大学卒業後ずっと勤めてきた母校の校長をこの四月に拝命しました。卒業生教員のうちで最年長ということで理事会において選任されたという次第です。力不足は自認するところですが、お受けした以上は精一杯努める覚悟です。

 前任者から引継ぎを受けた際、「とにかく挨拶が多いから手回し良く準備をしておかないと前の日眠れませんよ」と忠告を受けたましが、はたして入学式、始業式と立て続き、前校長のおっしゃった大変さを早速実感しました。関西の進学校の代表のような扱いを受けているためか、教育記事に力を入れているマスコミが何社か入学式の取材に来て、校長の式辞を他校と比較するような形で載せられたので、雑誌等でご覧になられた方もあるかもしれませんが、酒造会社が母体であることを多少意識して、中・高六年間の生活を酒造りに喩える話から始めました。「新入生は酒蔵に届けられたばかりの新米と同じで、担任団という杜氏さんたちが6年間持ち上がりで世話をしていくうちに、どんな色や味わいのお酒に育つか楽しみに見守って行きたい」というような雑把な内容です。この部分は私としてはつかみのつもりだったのですが、喩え話は世間受けするのでしょうか、その部分だけが取り上げられ苦笑を禁じえません。

 その後、創立当時の顧問、嘉納治五郎が唱道した「精力善用・自他共栄」という校是の説明をしました。どこの私学にも守っていくべき建学の精神というものがありますが、本校においてはこの校是そのものがそれに当たります。これは歴代の校長が毎年入学式の式辞で繰り返してきた話ではあるでしょうが、省くわけにはいきません。私は「自他共栄」のほうに重きを置き、バルセロナ五輪で柔道の古賀選手が直前に大怪我をして出場も危ぶまれながら、これまで支えてきてくれた人たちのことを思い浮かべることで金メダルを獲得できたという話を交えて、「自分が今あるのは決して自分ひとりの力ではない。家族、恩師、友人、ライバルなどさまざまな人のお蔭であることを忘れないで欲しい。そして、自らがさらに成長することがその人たちへの何よりの恩返しであるのだ」と語りかけました。もちろんそれは私自身自戒の念を感じながらでありました。

 ただ、一番言いたかったことは他にありました。それは「学校は生徒が主役」という私の持論です。本来、教員も保護者も脇役あるいは黒子であるべきで、側面からの支援は惜しまないが、学校は生徒自身がのびのびと自らの力を発揮できる環境でなければならないと思うのです。そのことを強調したあまり、別の機会に保護者の一人から「保護者は文句を言うなという意味ですか」という厳しいご質問を頂きました。なるほど、同じ話でも聞く人の立場が違えば受け取り方も違うというよい例だと思いましたが、「それは大いなる誤解ですよ」とお答えし、次のように説明しました。

 

私は入学式後の職員会議では教職員に向けて「先生ばかりが張り切って生徒を指導しようとしてもうまくかない。教室の内でも外でも、生徒が主体的に、積極的に学習したり活動したりするのをサポートするのが理想的だと思う」と述べたのです。そして翌日の始業式では今度は生徒に向けて、「学校は何事においても生徒が主役であるべきです。本校の場合、文化祭や体育祭などの行事、生徒会活動、クラブ活動など課外活動においては、『先生の影がほとんど見えませんね』と言ってもらえるほど、生徒諸君は自主性を持って活動できていると誇りを持って言うことができます。しかし、諸君の本来の務めである勉学においてはどうでしょうか。先生から与えられた課題を渋々こなしている人、授業中先生は張り切って授業されているのに心がここにあらずという人はいないでしょうか。勉学においても生徒が立派に主役を務めていますと胸を張って言える学校になるよう、諸君の更なる努力に期待します」と激励したのですよ。

 

これを聞いてその保護者は納得してくださったようです。

 話が飛躍しますが、教育基本法が改定され、教育三法の改定も日程に上がり、首相が「教育現場を一新する」というような威勢のいいことを表明しています。しかし、政府やそれが諮問する各種会議の教育改革論議を見聞きして、なんとも言えない空虚感を感じるのはなぜでしょうか。それは、教員改革や親のあり方に議論が集中し、主役であるはずの生徒自身のことに話が及んでいないからではないでしょうか。教員免許の更新制も結構ですが、教員が変われば学校がよくなるという単純なものではないはずです。生徒の自主性を重んじる力が免許の更新の際に測られることはあり得ません。学校選択制の議論も、それぞれの学校の評価を左右するのは学校長でも評議員会でもなく生徒たちなのだ、生徒たちが生き生きと自由に生活しているかどうかなのだという認識が無いまま、上から外からの強制で学校が変わっていくかのような流れで論じられているのは虚しい限りです。生徒が輝く授業のあり方を研究する、生徒会活動の活性化を促す、部活動での自主性を育むなど、学校を生徒本位の学習・生活環境に変えていく方策はいくらでもあると思うのですが、いかがでしょうか。

それは理想であって現実はそんなに甘くないとおっしゃるかもしれませんが、学校というところは理想を高く掲げ続けていなければならない場だと思うのです。昔から、「全人教育」「文武両道」「博愛精神」「自主自律」などいろいろ言われますが、それらの理想に向かって一歩でも二歩でも前進することこそが生徒の本分であり、それを支えるのが教員であり、保護者であり、社会なのだという当たり前のことを、新米校長として自ら再確認し、式辞でも訴えたに過ぎないのです。当分は「生徒が主役」をいろいろな挨拶の柱に据えていこうと思っています。