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 『カミの現象学』を身近に読む

                                         和田 孫博

 

 昨年の夏休みの終わり頃だったろうか、京大文学部の同級生で『とい』の同人でもある梅原賢一郎氏(滋賀県立大学助教授)から『カミの現象学』という著書を送ってもらった。「からだに穴が開く」という序章から僕はこの本に引きつけられた。イカを食べるときの梅原氏自身の感覚的体験談で始まる。口を通して外部からの来訪者と交通する、その場、その通路を「穴」と彼は呼ぶのである。僕にはイカを食べてそう感じた経験はないが、夏の山間の清水をゴクンと飲み干した瞬間や、寒い時期に外から帰ってすぐの一椀のお茶が五臓六腑に染み渡るような感覚を覚える時、梅原氏の言う「穴」が僕にも開いているのだと思う。

 勿論彼はそういう感覚的なことだけを述べているのではなく、日本全国の、時には海外の祭礼や風習を多々例にとって、穴の開く様を分析していく。そして穴の開け方(あるいは開き方)を、1.「たべる」 2.「まみれる」 3.「よせる」 4.「まねく」 5.「うつす」 6.「かさねる」 7.「くだく」という七つの和語の動詞に分類する。そして更に、それぞれの穴の開け方の典型例を具体的に説明していくのである。列挙される類例は多いのだが、それぞれの差異・特徴も示されているし、何よりも梅原氏自身が実際に現地を訪れ、参加して得た体験を通して述べられているため、決して退屈しない。宮古島の「六月ニガイ」、宮崎の「銀鏡神楽」や「椎葉神楽」、長野の「新野の盆踊り」、山形の「三森山のモリ供養」など、すべてそうである。二百八十頁を超える本を新学期の多忙の中、四日ほどで読み通した。宗教学や民俗学に全く門外漢の僕にもすっと入って来て、しかしおそらくは学究的にも相当深いものを含む書物だという印象を受けた。例年なら十月末の『とい』の締め切りまでに、今年はこの本の読後感でも寄せようと思っていたが、時間を見つけられないまま期日が来てしまった。しかし、同人全員の多忙が理由で年明けまで締め切りが延びたため、そのうち何とかしようと思いつつ、そのままになっていたのである。

 十月末、腹部エコーの検診の結果、二十年ぐらい前に見つかって経過観察をしていた胆嚢ポリープの数が少し増えてきたので、念のため胆嚢を摘出したらという主治医の勧めをうけ、十二月冬休みに思い切って手術を受けることにした。紹介状を持って関西電力病院の外科に行くと、腹腔鏡下の手術ということで、カメラと鋏と鉗子を二本入れるための穴を臍の近くとみぞおちの辺りと胆嚢のある右腹部に二つ、計四つの穴を開け、胆嚢を袋ごと摘出するという説明を受けた。十二月二十四日手術と決まり、二十二日の入院の日にこの本のことを思い出した。外科手術によるものではあるが、からだに四つも穴をあける時にこそもう一度読んでみようと思ったのだ。手術を待つ二日間でさーっと読めてしまった。そして一回目に読んだ時にも気づいていたのだろうが、新たに目に止まる箇所がいくつかあった。

 一つ目は序章で「穴」の定義をしているくだりだ。

 

  無理矢理に穴が開けられる場合がある。他人によって強制的に開けられる穴である。あるいは、私という主体によって、意志的に開けられる穴である。それは硬直した穴である。こわばった穴である。それはあとにひきずる。後味の悪さがのこる。いつまでもそれにとらわれる。

 

やがて僕の腹部に開く穴も、他人によって強制的に開けられる穴に間違いはない。梅原氏に言わせれば、「無理に開けた穴は穴であっても穴ではない」ということになるのかなあと感じた。

 次は第二章で「穴の〈かたち〉」を分類している中で、「お百度を踏む」という項目で「石切さん」を紹介している箇所。大阪府と奈良県の境にある生駒山の西麓に石切劔箭大神という神社がある。ここは関西では病気平癒の神さんとして古くから有名で、僕も入院の二日前にお参りした。応分の祈祷料を払うと「なで守り」と神社の紋を印刷した紙を戴き奥へと進む。次には神主ではなく祈祷師のような袴姿の女性がいて、病名を書いた申込書を見せると、呪文を呟きながら僕の胆嚢の辺りを何度か指さして気を送り、紋の入った紙に向かっても何度か同じようなことをして、枕にその紙を挟んでおくようにと言った。石切さんではここまでの所作を「お加持」と呼ぶ。それから参殿に進んで普通の「ご祈祷」を受ける。加持と祈祷が分かれているところが面白い。その後、お百度を踏む。神殿前の二本の石柱の間歩いて往復する。石柱に着く度にそれを手で撫でながら、くるっと回る。それを百回繰り返す。百回頭の中で数えるのは大変なので、屋台で数取り紐を買って、一往復する毎に一本折り曲げる。全部の紐が折れると百回済んだことが分かるという仕掛けだ。およそ五十分かかった。一緒に回っている人々の様子が気になりながらも、手術の無事を一念に祈る瞬間もあった。この時、僕のからだにも穴が開いたのかもしれない。梅原氏はこの石切さんのお百度を「まみれる」の項目に分類している。

 三つ目は、若い頃からの著者を知るが故に笑いがこみ上げた部分。ジョギングをする著者(尤も著者自身はジョギングと呼ばれたくないようである)が、「道元走法」を発明(発見?)する場面である。君原選手の「次の電信柱まで」走法ではうまくいかなかった著者は、一歩一歩を「くだく」ことによって、楽にしかも速く走れるようになったと述懐するのである。実は僕の勤める学校にもかつて同じようなことを発見した生徒がいて、「前が見えているから走るのが辛いのだと思い、目をつぶって宙に浮いているようなイメージを抱くと、すごく楽に走れるんですよ」と言ったのを思い出した。ただしこれは、体育の時間に住吉川沿いの遊歩道をマラソンしていて横の川にはまった後、理由を問われて口にした言葉である。彼も梅原氏と同様、目をつぶって走って川に落ちるまでの間、からだに穴が開くのを経験していたのだろう。

 梅原氏が何故「穴」という発想に至ったかは終章に述べられている。はじめは「際」に着目したとある。学生時代の専攻は美学の身体論であったからだろうか、「眉際」や「生え際」に始まり「別れ際」や「引き際」、「往生際」や「死に際」へと考察が広がって行く。そして主に岩田慶治氏の著書などに啓発され、[際]から[穴]の考察へと移っていったようだ。彼は次のような述懐でこの本を終わっている。

 

  [際]も[穴]も、二領域の橋渡しをする、特異な[ゾーン]を意味するが、[際]は、「〜の際」というように、ある特定の固定点から見られた[ゾーン]というようなニュアンスがくっつく。それにたいして、[穴]には、そのような固定点を予想させるものはなにもない。[穴]は、二領域がまったく同権利に保持されたまま、それらの媒 介的な[ゾーン]をあらわしている。[穴]に取り換えてから、すべての流れがよくなった。私は、外部のなにものかと交通するいろいろな回路を身につけはじめたのである。私がこの書物を書こうと決意したのも、そのときであった。

 

その意味でこの著書は、梅原氏のこれまでの研究生活のあり方を総まとめにしたものであると言えよう。

 十二月二十四日、僕のからだに穴を開ける手術は無事終了し、翌日には穴は塞がって小さな傷となっていた。穴の開いていた間のことは麻酔のために何も覚えていない。

取り上げられた本:梅原賢一郎[] 『カミの現象学―身体から見た日本文化論』(角川書店・2003

 

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